一週間で帰ると言った父が、迷宮から二十七年ぶりに帰ってきた

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# 一週間で帰ると言った父が、迷宮から二十七年ぶりに帰ってきた

父の帰還札を、俺は七年前にギルドから盗んだ。

今日、その片割れを持った男が北門に現れた。

「第三坑道、《銀狼の牙》四名、帰還!」

門兵の声が飛ぶ。俺は帳簿を開いた。冒険者が迷宮へ入る時、《帰還札》は二つに割られる。

片方は本人が持ち、片方は北門に残す。持ち主が死ねば、二枚とも黒く焦げる。帰ってきた時は、二つを合わせればいい。

「名前」

「ダリオ」

「ミナ」

「ロック」

「エッダ」

台帳と札を照合する。一人ずつ、門に残してあった半札を出す。カチリ。木目がつながり、青白い光が一度だけ走った。

「帰還確認」

次。

「帰還確認」

最後の一枚を合わせる。

「帰還確認。お疲れさん」

「それだけ?」

エッダが言った。若い女剣士だ。左肩に包帯を巻いているくせに、口は元気らしい。

「命懸けで帰ってきたんだけど」

「見れば分かる」

「おかえり、とかないの?」

「追加料金一銀貨」

「高っ」

仲間が笑った。四人は、風呂が先だ酒が先だと言い合いながら門の向こうへ消えていく。

俺は次の帳簿を開いた。

北門の帰還係を十二年やっている。帰ってくる奴も、帰ってこない奴も珍しくない。

机の一番下の引き出しは、仕事では使わない。そこに古い半札を一枚だけ入れている。

《ローディ・ベルン》

俺の父親だ。

父が迷宮へ入ったのは、二十七年前。俺が七歳の時だった。父は第六層の測量隊に入っていた。

八人で新しい水脈を調べ、一週間ほどで戻る予定だった。

出発の朝、父は玄関で革靴の紐を結びながら言った。

「一週間で帰る。帰ったら、剣の握り方を教えてやる」

「ほんとか?」

「ああ」

「前も言った」

「今回はほんとだ」

母は台所にいた。いつもなら玄関まで出てくるのに、その日は来なかった。俺は気にしなかった。

「水筒」

母の声がした。父が腰を触る。

「あ」

俺が台所へ取りに行き、父へ渡した。

「助かった」

「母さんに言えよ」

父は台所の方を見た。

「じゃあ、行ってくる」

少し間があった。

「行ってらっしゃい」

母の声だけが返ってきた。

俺は木剣を持ったまま、

「絶対、剣だからな!」

と叫んだ。父は振り返らず、手だけ上げた。

五日後、第六層で大崩落が起きた。

測量隊八名が消えた。八枚の帰還札は、全部白いままだった。

生きている。

少なくとも、その時は。

ギルドはすぐに救助隊を出した。最初の十日間は、昼も夜も北門を人が出入りした。坑道技師、土魔術師、神官、荷運び屋。

俺と母も毎日門へ行った。

「今日はここまで掘った」

「南側から回り込んでいる」

「地下水が多い。少し時間がかかる」

担当者は、子供の俺にも地図を見せて説明した。

二ヶ月目の夜。

旧第六層の岩盤から、三度、音がしたという話が出た。人が石を叩いたような音だったらしい。

救助隊は場所を変え、そちらへ掘った。母は三日間、ほとんど北門から離れなかった。四日目の朝、その救助坑が潰れた。

音は聞こえなくなった。

半年後、測量隊の一人の札が黒くなった。

その妻が北門で崩れ落ちた。母が俺の頭を自分の腹へ押しつけた。

一年目の冬。

別の救助坑が崩れた。今度は救助隊側の札が一枚黒くなった。救いに行った人間が死んだ。

その晩、母は家へ帰ると、市場の前掛けを椅子の背に掛けた。

「明日から店に戻る」

「父さんは?」

「朝、札を見てから行く」

「救助の話、聞けないじゃん」

「毎日ここにいたって、私が岩をどかせるわけじゃない」

「父さん生きてるんだぞ」

「分かってるよ!」

母が初めて声を荒らげた。しばらくして、俺の靴を指した。踵の底が剥がれかけていた。

「それも直さないといけない。家賃も来週」

俺は何も言えなかった。

翌朝、母は北門で父の札が白いことだけ確かめて、市場へ行った。

救助隊はその後も二度掘った。

二年目の春、ギルドは家族を集めた。

長い机の向こうに、迷宮管理局の責任者と坑道技師長が座っていた。白い札は、その時には四枚になっていた。

「今の技術では、旧第六層へ安全に到達できません」

誰かが怒鳴った。

「まだ生きてるんだぞ!」

「分かっています」

「なら、助けてくれよ!」

技師長は黙った。代わりに、迷宮管理局の責任者が言った。

「次に崩れれば、今度は救助隊の家族にも、ここで同じ説明をすることになります」

救助は常時編成から外された。記録上は《生存反応あり・救出不能》になった。

それから、北門へ来る家族は少しずつ減った。三年目、一枚が黒くなった。五年目、もう一枚が黒くなった。

残った家族の一人は、しばらくして街を出た。

「鐘が鳴るたび期待するのに疲れた」

そう言っていた。

七年目。

母が北門で父の名を告げると、新しく配属された帰還係が帳簿をめくった。

「ローディ……綴りは?」

昔は、門にいる誰もが父たち八人の名前を知っていた。母は一文字ずつ答えた。

「白いですね」

「そう」

それだけ聞いて、市場へ向かった。

十一年目。

最後から二枚目の札が黒くなった。白く残ったのは、父の札だけになった。

大きな地震の後には旧第六層が再測量された。

俺がギルドへ入ってからも三度、調査隊が出た。三度とも、道はつながらなかった。

その後も、母は市場の仕事を続けた。

俺の背は伸び、靴は毎年小さくなった。

俺が十二の時、母は父の革鎧を売った。

家へ帰ると、壁に掛かっていた鎧がなくなっていた。

「売ったの?」

「売った」

「父さんのだぞ」

「知ってる」

「帰ってきたらどうすんだよ」

母は天井を指した。雨漏りの染みが広がっていた。

「屋根代」

「だからって」

「鎧着て屋根は直せないでしょ」

その冬、屋根は新しくなった。

父の外套は、その翌年には雑巾になった。寝室は物置になった。父の靴もなくなった。

月に一度くらい、母は北門へ寄った。

「ローディ・ベルン、白い?」

「白いです」

「そう」

それで帰る。

俺が十五になった頃、一度だけ父のことで母とまた喧嘩した。

父がいなくなって八年目だった。何がきっかけだったかは覚えていない。

俺が、

「もういいだろ。父さんのことは」

と言った。母の顔が変わった。

「私も、似たようなこと言った」

「いつ」

母は台所の椅子に座った。

「出ていく前の晩。喧嘩したの」

父が第六層の仕事を引き受けたことを、母は嫌がったらしい。前の月にも第四層で落盤があった。

それなのに父は、危険手当がつくからと笑った。屋根も直せる。お前の靴も買える。そう言った。母は余計に腹が立った。

「誰がそんな金ほしいって言ったの、って」

母は言った。

「それで、そんなに迷宮が好きなら、もう帰ってこなくていいって言った」

出発の朝、母が玄関へ来なかった理由を、その時初めて知った。

「でも、行ってらっしゃいって言ってたじゃん」

「うん」

「じゃあいいだろ」

「……そうかな」

母はそれ以上、その話をしなかった。

俺はギルドに入り、二十二で北門へ回された。

それから母は、自分で門へ来なくなった。家へ帰ると、ときどき聞いた。

「今日も白い?」

「白い」

「そう」

夕飯の話の方が長かった。市場の肉屋が値上げしたとか。向かいの店の娘が結婚したとか。俺がいつまで独り身なのかとか。

ある晩、豆の煮込みを食べて、俺が言った。

「硬い」

母が露骨に嫌な顔をした。

「そこまで父さんに似なくていいのに」

「父さんも言ってたの?」

「豆が硬い、塩が薄い、肉が少ない。全部食べるくせに文句だけは多かった」

そう言いながら、母は鍋から俺の皿へ肉を一つ足した。

母が病気になったのは、父が消えて十八年目だった。

最後の半年は、寝たり起きたりだった。料理も俺がするようになった。

ある夕方、寝室から声がした。

「豆、水につけた?」

「朝からつけてる!」

「火、強くない?」

「寝てろよ!」

「硬くしたら、あの人また文句言うから」

俺は鍋の蓋を閉めた。

「帰ってきたら自分で作れよ」

「私はもう無理かもねえ」

その言い方があまりに普通だったので、怒るタイミングを逃した。

数日後。

母は窓の外を見ながら聞いた。

「今日も白い?」

「白いよ」

「そう」

しばらくして、また言った。

「ねえ、カイル」

「何」

「あの朝の『行ってらっしゃい』、あの人聞こえてたと思う?」

「聞こえてただろ」

「そうかな」

「家の外まで聞こえてたよ」

母は少し笑った。

「なら、いいや」

「帰ってきたら何て言うの」

「まず怒る」

「何て」

「遅い、って」

「それだけ?」

母は目を閉じた。

「その先は本人に言う」

三日後、母は死んだ。父の札は白かった。

二年後。

未帰還から二十年を過ぎた記録は、北門の現役棚から《長期未帰還保管庫》へ移す規則になっていた。

父の名も一覧に入っていた。俺が処理担当だった。帳簿には、

《長期未帰還保管庫へ移管済》

と書いた。札は、机の一番下の引き出しへ入れた。七年間、誰にも言っていない。

父が消えて二十七年目の初夏。

南坑道の掘削路が、旧第六層の裏側にある空洞へ抜けた。ギルドは二十五年ぶりに正式な救助隊を組んだ。

古い《生存反応あり・救出不能》の記録も引っ張り出された。

ひと月半前、俺は北門で救助隊の出発手続きをした。

救助隊が出た後も、仕事は変わらなかった。朝になれば門を開け、帰還者の札を合わせた。

そして今日。

迷宮側から鐘が三回鳴った。

「旧第六層救助隊、帰還!」

探索隊が見えてくる。泥だらけの冒険者。坑道技師。負傷者を乗せた担架。荷車。一人ずつ札を処理する。

「帰還確認」

「帰還確認」

「お前、腕どうした」

「折った」

「治療所行け」

最後の方で、救助隊長が俺の前に立った。

「カイル」

普段、隊長が帰還係を名前で呼ぶことはない。俺は顔を上げた。隊長が脇へ退いた。その後ろに、一人の男がいた。

六十前くらい。白髪混じり。頬は痩せ、左の眉からこめかみに傷が走っている。古い革鎧は何度も縫い直されていた。

俺の知っている父は三十二歳だった。目の前にいるのは、知らない老人に近かった。隊長が言った。

「旧王国の貯水施設跡で発見した。地下水と光茸、地底の盲魚がいた。測量隊は、そこでかなり長く生き延びてたらしい」

「他の人は」

「墓が七つあった」

そうか。

札の通りだ。

隊長は続けた。

「それと、お前の親父、まだ測量してたぞ」

「え」

「空洞からこっちへ伸びる古い測量印が、そこら中にあった。崩落のたびに引き直したんだろうな。一番新しい印は、俺たちが入る少し前のものだった」

隊長は俺の肩を一度叩いて離れた。男が一歩、前へ出る。胸元から紐を引っ張り出した。古い半札が下がっていた。

泥で黒ずみ、角が欠けている。それでも名前は読めた。

《ローディ・ベルン》

俺は机の下へ手を伸ばした。一番下の引き出し。白い半札を取り出す。男の目が、それに止まった。

「……それ」

「何だ」

「二十年で、長期保管庫行きじゃなかったか」

「よく知ってるな」

「昔、説明された」

「じゃあ黙ってろ。職を失いたくない」

男の口元が少し緩んだ。俺は札を机へ置いた。

「名前」

「ローディ・ベルン」

「所属」

「当時は《青鹿》測量隊」

「出発日」

男は年月日まで正確に答えた。俺は二十七年前の帳簿を開いた。

「本人確認」

男が困った顔をした。

「何を言えばいい」

「知らん。俺が最後に見たあんたは三十二だ」

「お前は七つだった」

男の声が止まった。

「カイル、だよな」

「そうだよ」

「大きくなったな」

「二十七年あるからな」

男は視線を落とした。

「母さんは」

「九年前に死んだ」

男は動かなかった。

「病気だった。最後の半年は寝たり起きたり」

「……そうか」

父はそれだけ言った。しばらくして、半札を握っていた手を開いた。掌に木の角が食い込んだ跡が残っていた。

「隊長が、まだ測量してたって言ってた」

「ああ」

「ずっと出口を探してたのか」

父は少し考えた。

「ずっとじゃない」

「最初は八人で崩落箇所を掘った。二ヶ月くらいした時、壁の向こうから三回、石を叩く音がした」

俺は顔を上げた。

「三回?」

「ああ。こっちも全員で叩き返した。一晩中やった。次の日から聞こえなくなった」

あの救助坑だ。四日目に潰れた坑道。父は知らないまま続けた。

「力じゃどうにもならないって分かってからは、水の流れと風を測った。外につながる隙間があるなら、どっちかは動くからな」

父は首を振った。

「仲間が死んだ日は何もしなかった。何ヶ月も地図を触らなかった時もある。最後の一人が死んでからは、何年か数えるのもやめた」

父の仲間の最後の札が黒くなったのは、十六年前だ。

「でも岩が大きく鳴ったら起きた。風向きが変わったら測った。水位が下がったら水路を潜った。崩れたら、地図を描き直した」

父は自分の手を見た。爪が二本、途中から歪んでいる。

「外へ出られるかもしれない日だけは、見逃したくなかった」

札を持つ。父も、自分の半札を外した。

二十七年ぶりに、二枚を合わせる。

泥で削れた分、少しずれている。指で位置を直した。

カチリ。青白い光が走った。毎日見ている光だった。帳簿へ書く。

《ローディ・ベルン》

出発。

二十七年前。

帰還。

今日。

最後に判を押す。

「帰還確認」

父は、合わさった札を手にしたまま立っていた。

「終わったぞ」

「そうか」

「……おかえり」

父が顔を上げた。

「ただいま」

その日の仕事を代わってもらい、父を家へ連れていった。

街を歩くたび、父はいちいち止まった。

「ここ、何だ」

「教会」

「パン屋だったろ」

「十五年前に潰れた」

「この道、こんな広かったか」

「馬車が増えたから広げた」

「あの鐘楼は?」

「戦争で壊れた」

「戦争あったのか」

「二回」

「二回?」

「家で聞け」

「家、あるのか」

「あるよ」

家の前まで来る。父は屋根を見上げた。

「直したんだな」

「二回」

「俺、出る前にそれで喧嘩したんだよ」

「知ってる」

父が俺を見る。

「母さんから聞いた」

「……どこまで」

「帰ってこなくていい、まで」

父は黙った。

俺は玄関を開けた。父は中へ入ると、台所の方を見た。

誰もいない。

それでも少しだけ、そこに立っていた。

「最初の修理代、あんたの鎧だからな」

「売ったのか」

「母さんが」

父はもう一度屋根を見た。

「そりゃ怒るわ」

「今さら反省すんな」

自分の部屋だった場所には、乾燥豆の袋と古着と薪が詰まっていた。

「俺の部屋」

「豆の部屋だ」

「寝る場所」

「今日は俺の寝床使え。明日、自分で片付けろ」

「帰還初日に労働か」

「二十七年分溜まってる」

父は乾燥豆を見た。

「腹減った」

「何食いたい」

「豆の煮込み」

「やっぱりな」

鍋を出した。豚肉を切る。玉ねぎを刻む。豆は、明日の分に朝から水につけてあった。

父は台所の椅子に座り、ずっと俺の手元を見ていた。

「母さんに習ったのか」

「病気になってから」

「そうか」

煮込みを皿へよそう。

二つ。

父が一口食べる。黙って噛む。

「どうだ」

「母さんのと違うな」

「作ってる奴が違う」

もう一口食べる。

「豆、ちょっと硬い」

「母さんが言ってた。あんた、豆が硬いって文句言うって」

父の匙が止まった。

「……もう一回、あいつの作ったの食いたかったな」

父は匙を置いた。しばらく、皿の湯気を見ていた。やがて鼻をすすって、もう一度匙を持った。

「母さん、死ぬ前まで気にしてたぞ」

「何を」

「出る前の晩に、帰ってこなくていいって言ったこと」

父は少し眉を寄せた。

「それと、朝の『行ってらっしゃい』。あんたに聞こえてたかって」

父はしばらく何も言わなかった。

「聞こえてたよ」

「そうか」

「あれは喧嘩の最中だ」

父はもう一口食べた。

「朝は、行ってらっしゃいだっただろ」

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